2008年07月20日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2781 count

水源が多すぎるのか!? 下高井戸玉川上水南岸のミステリー!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は愕然とする凄いものを見てしまいました。

 何回も歩いたことのある場所に、しっかりと水路の跡が残っていたのです。

 更に、そこから別のアイデアが浮かびました。

 以上の話をここで書きます。

発端 §

 「北沢川 桜上水支流には更に支流があったのか? 松沢中学校脇の別の経路!?」で言及したことを、「世田谷の川 探検隊」さんにメールしたところ、その夜のうちに返事が返ってきました。そこには、ここに掲載した地図のL-M間を見ることを勧める意味深なアドバイスがありました。何があるのかはネタバレになると教えてくれません。

 場所は以下にあたります。

 そこで、今日になって寄り道して見てきました。

 その結果、何回も通った道なのに愕然とするものを発見しました。

 明確な水路の跡です。上に板や資材が載っていて見えにくくなっていますが、明らかにコンクリート製の水路跡が残っています。

水路跡

なぜ昨日これを見なかったのか? §

 さて、本来なら昨日のうちにこの場所を確認すべきでした。しかし、実際には確認していません。その理由は、もっと別に興味のある場所があったからです。

 それは、「世田谷の川 探検隊」さんの「第1期北沢用水に掲載された写真です。

 これには、以下のような説明が付けられています。

なんの変哲もない路地暗渠なんですけど。

この下流はどこにつながっているのか‥‥という謎解きを楽しんでいます。

ちなみに奥に見えるのは甲州街道、首都高4号の高架です。

一見、大したことなさそうな物件なんですが、もしかしたらこれが「北沢用水の最初のルート」かもしれないのです。

 しかし、私の興味は下流よりも上流、そして、この近くにあったはずの「甲州街道下高井戸宿の本陣」との関係です。

 そこで、あらためてこの現場に出向いて撮影し、私が知っている場所とこの写真の場所が同じかを検証したいと思っていました。

 実際、完全に同じ場所だと言うことが分かりました。

なんの変哲もない路地暗渠

 場所は以下のA点だったと思います。

本陣の謎 §

 「甲州街道下高井戸宿の本陣」の位置は、『文化財シリーズ26 甲州道中「高井戸宿」 杉並区教育委員会』によるとおおむね上記の地図のB点になります。これは、桜上水駅に近い便利な場所に見えますが、実は桜上水駅は後から車庫とセットでできた駅であり、京王線建設時には駅を設置する場所としては選ばれていません。そのような場所になぜ本陣があったのか、という疑問を持っています。

 そして、本陣を置く根拠として「水」は考えられないだろうか、というアイデアを持っていました。「下高井戸宿の本陣は現桜上水駅付近だが現下高井戸駅付近が繁栄する理由について考えたこと」で、以下のように書いたこともあります。

 一方で、桜上水駅のあたりには北沢川の支流の1つの水源地があったようです。この支流の跡はキッチンコートの入口の向かいあたりから残っています。とすれば、水がふんだんに使えるという理由で、このあたりに本陣を置いたという可能性も考えられます。現下高井戸駅付近にも神田川や玉川上水があったわけですが、神田川は低地を流れるため水を汲む手間が掛かりすぎ、玉川上水は管理が厳しく分水を経由しなければ水を使うことが許されていませんでした。目の前を玉川上水が流れていても、その水を使えなかったわけです。

 それらを考え合わせると、玉川上水とは無関係であり、かつ標高の高い甲州街道と同じ高さで得られる水源は価値があった……という可能性も考えられます。

 ……考えられるだけで、それが事実かどうかは分かりませんけどね!

 単なる思ったことのメモとして書いておきます。

水源が多すぎる! §

 さて、このページで取り上げた2つの水路跡は、おそらく別の水源から始まり、別個の経路で北沢川に合流する別の水路の跡です。玉川上水の分水路だとすれば話は簡単ですが、ここでは「違う」という前提と置いて考えてみます。

 すると、2つの水源は、玉川上水よりも南側かつ、それぞれの水路跡の場所よりも北側に位置することになります。これはかなり狭い範囲です。つまり、ここで取り上げただけで2つの水源地が存在することになります。

 下高井戸の玉川上水北側の状況と対比すると、これはかなり多いな、という印象を受けます。

真の水源は玉川上水か? §

 そして、「かなり狭い範囲」に「水源が多い」という状況から、別のアイデアを思いつきました。

 これは、「玉川上水」に近い場所に「水源が多い」と読み替えるならば、実は玉川上水から地中に漏れ出した水が地面に顔を出したところが「水源」、あるいはもしかしたら計画的に玉川上水の水を導き入れるために作られた水路(正規の分水路という意味ではなく、ゲリラ的に)という解釈があり得るかも知れません。

 ……といっても、全ては単なる思いつきなので、けして信じないように!! (多数のあやふやな仮定の積み重ねの上の単なるアイデアだ!)

下高井戸周辺史雑記